誕生秘話
1.母の入院先での会話入院している母との面会時、母の『病院食が苦手』という言葉
確かに面会の夕食時、違和感のある臭気を感じていた
恐る恐るテイスティング
→こんなにも味気の無い物が世に出回っているのか、
逆に患者の病状を悪化させるのでは
入院歴がない私自身も入院時はこれを口にしなくてはならないのか
→『何とかしなければ』使命感が沸々と湧き上がる
2.病院食食材展示場での主催会社役員との会話役員『病院食を何とかできないでしょうか』
私『以前の入院している母との面会時、これはダメだと思っていました』
役員『でしょう?美味い味が出せない事が当然の分野でして、どうにかならないですか』
私『コスト面もありますが、お役に立てるのであれば』
役員『来月、病院食の展示会をやるので来て頂けますでしょうか』
私『かしこまりました』
感想:『味が薄いのオンパレード』『何とかしなければ』と決心
→しかし、どうしたら良いのか全くわからず
3.社員への新年の抱負と絶体絶命の危機からのリボーンスープ誕生
日経レストランメニューグランプリに当時役員として勤めていた
益正グループ社員を毎年3〜10名ほど出品させるも過去一度も予選すら通過出来ない時代があった
翌年年始、全社員が集う朝会において、新年の抱負と共に『今年は俺が日経レストランメニューグランプリに出品し、お前達の敵を取ってくる』と断言
グランプリ当日、以前より時々起きていた『異変』が起きる
その『異変』とは『味覚障害』である。
亜鉛を飲んでも、多種の病院に助けを求めても解決せず
『原因不明』『全てのものが塩辛く感じる』
絶体絶命の状況で何とか決勝のステージへ上がる
取材班『何度も味見をされているようで、どうですか?』
私『何とか…』
スープ勝負の出品作なのに『味が全くわからない…』
終了の合図と共にステージを後にした
結果発表『準グランプリは草野雅彦さん!おめでとうございます!』
実質料理部門ではナンバーワンに
熊谷喜八審査委員長『過去1番のスープです』との言葉
味が全くわからないという料理人としても絶体絶命の危機から得たものは、勲章だけでなく、『ガラスープ』『和出汁』『野菜』の融合による『旨味の知識』であった
無塩でも美味しい旨味は『味を重ねる事によって生まれる』
この大きな経験が後の『リボーンスープ』の全ての始まりである
4.発酵との出会いリボーンスープの開発を通じて、「天然の旨みを活かせば、塩分を抑えても美味しさは成り立つ」という確信を得ました。
この考え方をさらに深める中で出会ったのが、糸島の醤油蔵や生産者の方々が守り続けてきた “発酵” の文化でした。
発酵は、ただ食品を変化させる技術ではなく、素材の旨みを自然に引き出し、時間とともに味わいを育てていく知恵。
その考え方が、私たちの理念と深くつながっていることに気づきました。
以来、発酵は「主役」ではなく、素材と自然の力をそっと引き出す“パートナー”として、私たちの商品づくりに欠かせない存在となっています。